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アンソニーロブレス コメント [スポーツ]

これは、「アンソニーロブレス コメント」についての記事です。


片足のレスリング王者「アンソニー・ロブレス」をご存知ですか?
あまりにもいいお話だったので、こちらで紹介させていただきます。
まずは、アンソニー・ロブレスさんの経歴からお話します。


◆◆◆アンソニー・ロブレスさんの経歴
アンソニーロブレス.jpg
母・ジュディがアンソニー・ロブレスを身ごもったのは、まだ10代の学生の頃だった。
しかし、当時交際していた男性は妊娠に気づくと、彼女の元を去ってしまった。
両親の助けを借りながらも、学校を退学してシングルマザーになることを決意したのだ。

だが、更なる悲劇に見舞われた。
1988年に誕生したアンソニー・ロブレスは、生まれつき右足がない四肢欠損症だったのだ。
だが、彼女の育て方は驚くべきものだった。
障害のある息子をいたわるどころか、決して甘やかさず本気で叱り、取っ組み合いになることも多かったという。
アンソニー・ロブレスは小さい頃から力が強かったという。

しかし、ある程度大きくなると・・・走れないアンソニー・ロブレスは学校で仲間はずれにされることが常だった。
走れない自分を嘆くアンソニー・ロブレスに、母・ジュディは「どうして諦めるの?あなたは走れるわ。
勝手に走れないって決めつけてるだけよ!」と言った。
厳しく怒るときも、元気づけるときも、親子のコミュニケーションはいつも取っ組み合いだった。
そして、すぐにアンソニー・ロブレスは特訓を開始。
片足でも、松葉杖があれば絶対に走れると信じて。
そして、松葉杖でも走れるようになったとき、友達ができた。

高校に入学したアンソニー・ロブレスが遇然、体育館でレスリングを見かけた。
そして、レスリングのコーチから体が出来ているから君は向いている、一度試したらどうかと誘われた。
そして、その日あったことを母親に話した。
さすがの母親もレスリングまでは勧めないだろうと・・・だが、母・ジュディは絶対やるべきだと言った。
いつも2人で取っ組み合いをしてきた、それと同じだと言うのだ。
アンソニー・ロブレスにとって、取っ組み合いは特別な意味を持っていた。
障害があっても世間に負けないように、厳しく叱ってくれたり、勇気づけてくれる母の愛情そのものだった。

こうして、自らが通う高校のレスリング部に入部したアンソニー・ロブレス。
しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
レスリングは、先に相手の体を仰向けに倒し、両肩をマットにつけた方が勝つ、これをフォール勝ちといい、試合は終わる。
または、相手を抱え上げ、背中から落とすと3点。
相手の背後をとると2点など、奪ったポイントの多い方が勝つ。

片足のアンソニー・ロブレスは踏ん張れず、練習でもいつもポイントを奪われ、負けをきしていた。
そんな毎日を過ごしていた頃、クラブのスター選手、アリゾナ州のチャンピオン、クリス・フレイジェに、一緒に練習させて欲しいと頼んだ。
当然周囲は、エースのクリスに実績もないアンソニー・ロブレスの相手などさせられないと思った。
しかし、クリスはそれを快諾。
クリスはアンソニー・ロブレスを連れてトレーニングジムへ向かった。
クリスは練習後も1人、ジムでトレーニングをしていたのだ。
以来、アンソニー・ロブレスはジムでパワーアップの猛特訓を自らに課した。

すると、次第に成果が現れてきた。
コーチはアンソニー・ロブレスの成長ぶりに注目。
そして、アンソニー・ロブレス流の闘い方を思いついた。
その作戦とは、片足がない弱点を武器に変えたスタイルだった。
そう、アンソニー・ロブレスは最初から腰を落とした状態で試合に臨んだのだ!
この低い姿勢から、素早く膝を蹴って相手に飛びかかる。
そして、持ち前のパワーで相手をひっくり返し、ポイントを奪うのだ!
アンソニー・ロブレスは握力80kg、ベンチプレス138kgを上げる体にまで成長していた。
そして、高校3年生の時、遂に州のチャンピオンに輝いた!!
さらに、その実力が認められ、アリゾナ州立大学への奨学金を獲得することができたのだ!

ところが、アンソニー・ロブレスが大学2年の時だった。
母・ジュディが倒れてしまった。
奨学金を獲得したとはいえ、母子家庭の親子の生活は貧しかった。
ジュディは生活費を稼ぐために、休みなく働き、それでも足りないときは、1回35ドルで献血するなどしていた。 長年の無理が祟り、体調を崩してしまったのだ。
アンソニー・ロブレスが大学を辞めて働くというと、「レスリングはどうするの?」と言ってきた。
諦めずに何とかなる方法を考えろというのだ。
母は、自らが命の危機に瀕しても、息子の夢を絶つことはなかった。
考えた末アンソニー・ロブレスは、練習をスピードアップさせ、早めに切り上げ、その後、レクリエーションセンターでアルバイトを始めた。
母の決して諦めない前向きな精神は、アンソニー・ロブレスにも伝わった。
そして、ジュディさんの両親の援助も手伝って、アンソニー・ロブレスは大学を辞めずに済んだのだ。

大学2年の時には、全国大会で4位に。
翌年は仕事との両立に集中できず、残念ながら7位に終わっていた。
そして迎えた、大学4年の最後の大会。
全米アマチュアレスリング、頂点を決める決勝戦、舞台にいたのは、アンソニー・ロブレスだった!!
大会史上初めて、片足の選手が健常者と闘い、決勝戦まで登り詰めたのだ。
病気を克服したジュディさんも試合を見つめる。
アンソニー・ロブレスの相手は前年度のチャンピオン、強敵だ。
試合開始間もなく、アンソニー・ロブレスは相手の背後をとり、2点先取。
そして、ずっと練習してきた大技を繰り出す。
敵の体を回転させ、ポイントを稼ぐ。
そして・・・アンソニー・ロブレスは全米チャンピオンに輝いた!!
生まれつき片足という障害を持つ人々の中で、これほど大きな健常者の大会で優勝したアスリートはいない。 まさに、奇跡の勝利だった。
アンソニーロブレス1.jpg

そしてアンソニー・ロブレスは、スポーツ全般で、その年の優秀選手を表彰する式典に招待され、不屈の努力を讃える「ジミーV賞」、さらに、障害を持つアスリートのなかで最も活躍した選手に与えられる「最優秀障がい者男性アスリート賞」、2つを受賞したのだ。
不屈の男、アンソニー・ロブルス。
この奇跡を生み出したのは、母・ジュディに他ならない。
現在、アンソニー・ロブレスさんは、子供にレスリングを教える傍ら、講演活動を行うなど、忙しい毎日を送っている。
さらに先日、自らの体験談を出版し、まさに時の人となった。


よくまとめられたものがあったので引用させてもらいました。
ですが、私が感動したのは彼の経歴だけではありません。
彼の授賞式でのコメント(スピーチ)が素晴らしいので、最後にこちらをご紹介します。


◆◆◆アンソニー・ロブレスの授賞式でのコメント(スピーチ)

アンソニー・ロブレスの授賞式でのコメント(スピーチ)。

ありがとうございます。 この場に立てて光栄です。
今夜受賞した人のほとんどが、 何かを成し遂げたからではなく、 周りの人が犠牲を払ったり激励してくれたお陰で この場にいる事ができるのです

私の場合それは 母のジュディでした。
私が片脚で生まれた時、 母は逃げ出すこともできました。
しかしそうしなかった。
そして母は教えてくれました。

「諦めてはいけない」と・・・

私を強くするために、痛みから守ってくれませんでした。
大学2年の時 母は病気になり、私たちは家を失いました。
私はレスリングをやめようとしました。
でも母は許しませんでした。

お陰で全米チャンピオンになれました。
そして世界一の指導をしてくれた、 アリゾナ州立大学と友人のクリス・フレイジェ、 高校時代のコーチ ボブ・ウィリアムズに感謝します。

これからも私は前へ進みます。私のメッセージを聞いてください。

この世に生を受けた人間は、 脚が1本であれ2本であれ困難に立ち向かわなければならない。
どう生まれたかではなく、どれだけ価値のある者になれるか。
たくましくあれ!
可能性を高めよ!
そのために痛みが伴おうとも、 私は不満をこぼす事はないだろう。
私の魂は屈する事はない。
どんな敵に立ち向かおうとも恐れる事はない。
私は自分の可能性を知っているから。


どう生まれたではなく、どれだけ価値のある者になれるか。
今まで、アンソニー・ロブレスさんよりも恵まれた環境に生まれながらも、不満ばかりを言っていた自分が恥ずかしくなりました。
大げさでなく、私の人生の座右の銘になりそうです。

もし、いい言葉だな、いい話だな、と思っていただけたら、ぜひ周りの方にお話して共有してください。
まだまだ日本では知られていない方だと思うので、もっともっと多くの方に知ってもらいたいです。


◆◆◆同じ障害を持ってうまれてきた乙武洋匡さんの本

もう随分と前に話題になった本ですが、アンソニー・ロブレスさんと乙武洋匡さんは同じ障害を持って生まれてきました。
同じ本でも、読む時期によって感じ方が変わるので私は時間を置いてから同じ本を再度読むのが好きです。
既に読んだことがある方も、まだの方も、こちらからどうぞ。



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